秋葉原のUDXに続く階段を駆け上ると、京浜東北線の青いラインが視界に入ります。
コロナ禍の外出自粛要請により、街ゆく人の数は減ったと言われていますが、電車内は、結構な過密状態に見受けられます。
満員電車に触れる事はタブーなのか
三密回避を訴える、自治体は、密になりやすい店に対して、自粛要請を出しています。
特に槍玉に挙げられているのが、パチンコ屋です。
自治体が、営業しているパチンコを公表して、よくやった!と拍手喝采されているニュースもあります。
パチンコ屋の自粛は当然。しかし、なぜ、満員電車が黙認されているのか、不思議に思う方は多いのではないでしょうか。
当たり前の話ですが、都市生活者が全員、パチンコ屋には、行きません。
但し、都市生活を送っている人は、かなりの高確率で、電車に乗ります。
コロナ影響の只中の現在では、毎日、感染者数が発表されていますが、
都市の感染者の移動履歴を考える際、どう考えても、パチンコ屋に立ち寄る確率よりも、電車に乗る確率の方が高いのは、明らかです。
それにも関わらず、営業を続けるパチンコ屋を過度に叩いて、満員電車を黙認している様は、実に、不可思議に見えてしまいます。
それで、件のパチンコ屋が営業自粛をしたら、よくやった!と喜びます。
これは、意味があるのでしょうか。
その一方で、一番の密である満員電車は、何事もないように、動き続けているのです。
それに関して、誰も口を開こうとしません。
まるで、「満員電車は三密の最たるもので、パチンコ屋同様に、今すぐに営業停止しろ」と言おうものなら、白い目をした群衆に囲われそうな不気味さがあります。
我々の満員電車を奪うなと・・
なぜ、パチンコ屋の営業が批判の対象となるのに、電車がならないのかというと、必ず、非正規社員で休むと賃金が支払われず生活が困窮する・・とか、みんな仕事を頑張っている・・、なんて、論調が前面に現れます。
これは、あくまで、感情論で、物事の本質からズレたところで、議論をしている格好では無いでしょか。
パチンコ屋然り、公園で遊んでいる子供を見かけて警察に通報する人とか、営業している店舗に嫌がらせをする人などが、各地で発生していると報道されていますが、これらも、本質からズレていっている現象に他ならないのです。
物事の本質(=電車)の議論が棚上げされ、現在、これを使わざる得ない方々に対する支援や補償を施す議論すら隠蔽されてしまっています。
電車で発生するクラスターを認識する事は不可能?
都市での生活において電車が不可欠であり、且つ、都市で感染者が発生している現状を勘案すれば、感染者は、かなり高確率で電車に乗っているはずです。
それならば、電車内でクラスターが発生していても、何ら不思議ではありません。
どう考えても、感染者経由で、ウイルスが広範に広がっていく事実を踏まえるなら、パチンコ屋よりも電車の方がクラスター発生の確率は高いでしょう。
もしかしたら、もう既に、電車内でのクラスターが発生しているのかもしれません。
あるいは、近い将来、電車内クラスターが、発生するかもしれません。
ただ、我々は、必ずしも、それらを、認識することができるとは限らないのです。
それは、昨今の、パチンコ屋叩きと電車の聖域化の風潮を勘案すれば、明らかでしょう。
仮に、パチンコ屋でクラスターが発生しさえすれば、我々は、即時的に、その情報を受け取る事が出来るでしょう。
一方で、満員電車で其れが発生しても、其れに関する情報はいつまで経っても、こちらに届く事は無いのでは無いのでしょうか。
すると、やはり、都市の電車を閉鎖する事は、困難であるという帰結に至ります。
もちろん、政治的や経済的な話もあるかもしれませんが、
別の見方をすれば、電車、特に満員電車ほど、大衆管理に適したツールは無いと思います。
それを踏まえると、電車で破局的な出来事が起きたとしても、恐らく、表面的には出てきにくいでしょう。
コロナ禍が終わって、いつもの日常が戻ってきた。
以前と変わらぬ、満員電車の日々が帰ってきた。
一見、眉をひそめそうですが、内心では、喜ぶ人は、少なくないはずです。