会社を辞めた後、心と身体は、次のような過程を辿ります。
- 退職直後、解放感と自由を満喫(第1フェーズ)
- 1ヶ月後、「働きたい…」(第2フェーズ)
- 自由に慣れてくる(第3フェーズ)
これらは、以下の記事で書きました。
https://futsuuno.com/2019/12/05/quit-the-company
私も、長年の会社勤めを辞めた直後は、
解放感を楽しみました(第1フェーズ)が、
それから、また、会社勤めをしたいという欲望(第2フェーズ)が湧いてきました。
それから、第3フェーズであるフリーランス的生き方の受け入れまで、多少、時間がかかりました。
これは、短くない就業経験のある者にとっては、誰にでも起こり得る内容だと考えております。
目次
退職後に、最寄駅に通う日々
会社を辞めた直後の解放感が、飽きてきた時です。
私は、自然と、最寄駅に通うのが、日課になりました。
最寄駅は、埼玉、千葉、神奈川からの路線が交差するターミナル駅です。
時間帯は、朝。
勤めていた会社の始業時間に間に合うように家を出て、駅に向かうのです。
会社は、退職していて、向かうべき場所もありませんが、それでも、駅に向かいます。
だけど、電車には乗り込みません。
電車には乗り込めない、と言った方が正確かもしれません。
会社を退職してしばらく経っていたこの時では既に、
社会と少し距離が開いていました。
もう、満員電車には乗れないのです。
乗り方が分からないからです。
だって、人がたくさん乗っていて、これ以上、人が乗り込むことは難しいと思えてならないからです。
そこで、私が取った行動は、プラットホームのベンチに座り、
満員電車から吐き出される人、
満員電車に乗り込む人、
をひたすら視認し続ける事でした。
人間観察ではありません。
ましてや、自己の存在を、群衆化した他者より上の位置において、あれこれ批評しようなんて毛頭ありません。
ただ単に、これまでずっと会社勤めをしていた時の、満員電車に乗るという習慣が、身体から抜け切れないゆえの行動であると思っています。
https://futsuuno.com/2019/09/14/addict-crowded-train
これまで、私は、満員電車に過度に依存した生活を送っていたことになります。
仮に、最寄駅に通う行為が、何かしら、精神的疾患な問題を抱えているのではないかという意見を提出されるのならば、普段、タバコやお酒、コーヒーを飲む人も同様に、何かしらの精神的疾患を抱えているというロジックになってしまうでしょう。
満員電車をずっと傍観して思った事
退職後、3ヶ月くらい、
私は、最寄駅のベンチから、満員電車を、見つめ続けました。
最初は、残り定期券を使って入場していましたが、
途中で、それもなくなり、わざわざ、入場券を購入して、
駅の構内に入っていました。
平日、朝7時から10時前くらいまで、毎日通いました。
そこで、以下のようなことに、気づきました。
- 思ったより、喧嘩が多い
- たまに、痴漢が現れる
- 永遠に続くように思われる満員電車が、ある時間を境に、段々と空いてくる
- 同じ顔をしている
思ったより、喧嘩が多い
電車で、喧嘩をしている人を見たことはありますか?
電車やホームで、怒鳴り声を上げている人を見たことはありますでしょうか?
私も会社通いで電車を使っている時、
ごく稀に、これらの人を目撃したことはありました。
でも、毎日、満員電車を見ていて、
かなりの頻度で、喧嘩を、目撃しました。
大概は、男性同士です。
サラリーマン風の男性同士が、向かい合い不穏な空気を醸し出している場面は、稀ではありません。
中には、朝っぱらから、大声を張り上げて怒鳴り散らしながら喧嘩をする場面もありました。
しかし、傍目で見ていると、なんで、この人達が揉めているのかがさっぱり分からないのです。
風景の中で、突如として、喧嘩が勃発する感じです。
埼玉、千葉、神奈川、北関東から人が、このターミナル駅に集います。
それゆえに、過密さが極まります。
各自のパーソナルスペースの確保が困難になり、皆が、ピリピリしているのかもしれません。
たまに、痴漢が現れる
喧嘩ほどではありませんが、稀に、痴漢を目撃します。
目撃するというのは、
私が、痴漢その瞬間を目撃するという意味ではなく、
男性が、全速力で、ホームを駆け抜けていき、後ろから、複数人が追いかけている場面、
ということです。
痴漢の犯人と思しき男性が押さえつけられ、地面に顔をつけられている場面も、ありました。
さすがに、線路に降りて、逃げるという人までは、見かけませんでした。
(この駅の構造上、線路から逃げるのが、難しいということもあるかもしれません)
永遠に続くように思われる満員電車が、ある時間を境に、段々と空いてくる
8時台の満員電車を見ていると、
この満員状態は、永遠に続くのだろう、
という感覚を抱きます。
それが、10時前後で、徐々に空いてきます。
明確に、この時間から空くというものではなく、
空いたと思ったら、次来た電車は、激混なんてケースもあります。
徐々に、車内に空間の余裕、出来てきます。
乗客が、同じ顔をしている
ありきたりな感想ですが、乗客はもれなく、同じような雰囲気をまとっています。
満員電車自体が、装置と化しているのだと考えます。
その装置に組み込まれた人達は、ある種、画一性を帯びるのでしょう。
それゆえに、個性的な人は、一人たりとて、居ませんでした。
おわりに
会社を辞めてから3ヶ月間、満員電車を見るために、最寄駅に通いました。
段々と、自分の身体と精神が、
勤め人ではない、フリーランスに、適合するようになっていったと感じています。
毎日、満員電車に乗っていた日々
社会を経験してしまった人間にとって、
満員電車の情景は、第二の故郷
そのように深層心理に、植え付けられるのかもしれません。