コロナの影響による、不要不急の外出自粛の空気が薄れてきた昨日、都市のオフィス街で、トナラーを見かけました。
ソーシャルディスタンスの風潮ゆえに、非常に珍しいものとして目に留まったのです。
コロナ禍に現れたトナラー(体験談)
土曜日の朝、オフィス街のコーヒーチェーン店は、ガラガラです。
ソーシャルディスタンスを考慮して、座席の間隔も、配慮されていました。
私は、モーニングセットを注文し、席に着きました。
店内ガラガラだったので、対面2人掛けの席にしました。
すぐ隣の席は、コロナの影響で使用禁止。その1席空けて、若い女性が、私と同様に、対面2人掛けの席に座っていました。
ほどなくして、おじさんが入店してきました。
なぜ、この人がおじさんと分かったかと言うと、入店直後、このおじさん、大きなくしゃみをしたからです。
おじさん特有の大袈裟なくしゃみだったので、店内にいた客の視線がこのおじさんに注ぎました。
半袖、短パン姿で、マスクを付けていませんでした。
そして、一回のくしゃみだけではなく、このおじさん、鼻炎なのかもしれませんが、大きなくしゃみを連発しました。
レジ前で、大袈裟なくしゃみを連発。
口を押さえる事なく、豪快にくしゃみをやります。
カウンターには、飛沫防止のビニールのカーテンがあるとはいえ、なんか、店員さんに対して、気の毒になりました。
大学生と思しき、店員さんは、特に黙念と作業をしていました。
喫茶店にしても、コンビニにしても、ファストフード店にしても、店員さんって、オカシナ客がやってきても、注意しない傾向が高いのです。下手に注意して、そのオカシナ客に絡まれ問題に発展する事が嫌なので、見て見ぬ振りをしてやり過ごそうとしているのでしょうが・・。
結局、おじさんのくしゃみ連発を見て、数人の客が、いそいそと店外に出て行きました。
おじさんは、カウンター越しに、コーヒーを受け取って、座席を取るべく店内を徘徊します。
店内の客は、皆、おじさんの挙動を見つめていました。
(頼むから、自分の近くに座らないでくれ、)と願っているのでしょう。
近くに座られ、くしゃみをぶっかけられたら、このご時世、たまったものではありません。
おじさんは、こちらに近づいてきます。
どこに座るのだろう、と見ていると、
なんと、このおじさん、若い女性が座っていた対面二人掛けの席に座りました。若い女性とおじさんが向かい合って座る形となりました。
その瞬間、なんだ、このおじさんは、この女性の知り合いだったのか、と思いました。
しかし・・
おじさんに、目の前に座られた瞬間、この女性・・引きつった声を上げて、怯えるように、バックを抱えて、その場を逃げ出したのです。
つまり・・
おじさんと若い女性は、知り合いでも何でもなく、
おじさんは、トナラー。
見ず知らずの若い女性が座っている席に、対面する形で、座ったのです。
この若い女性にとって、知らないおじさんが目の前の席に座ったのですから、恐怖でしょう。
女性がいなくなった後も、このおじさん、大きなくしゃみを連発していました。
このご時世では、殺人的行為といっても、言い過ぎではありません。
コロナ時代のトナラーの存在
コロナ禍による三密回避の号令で、トナラーの存在は、減少しました。
しかし、トナラーの減少は一時的なものに過ぎません。
日に日に、感染者数は減少傾向にあります。
外出自粛要請が解かれて、多くの通勤客が満員電車を取り戻した時、同時に、トナラーの存在も復活を遂げるでしょう。
但し、これまでのトナラーと異なるのは、「ウィズコロナ」の時代である点です。
コロナは完全に消失するのではなく、コロナとともに人々は生活を送ることになります。
当然、外出自粛要請が解除されても、密を警戒する必要は残るでしょう。
一方で、都市の運動が、トナラーの生成を止めることは不可能でしょう。
感染者数が減っていき、だんだんと、都市に人が戻ってくると、そこにはトナラーが出現します。
あなたが、密を回避しようと心がけても、トナラーが密の形成を行うのです。
「ウィズコロナ」の時代では、トナラーにこのような密やクラスターの危険性が孕むのです。
それに、トナラーは、都市の運動により自動化された存在である以上、トナラーに対して、いくら「密はいけない」と啓蒙して、主体性に訴えかけようとしても、難しいでしょう。
都市は、非常に厄介な存在を生み出したと思わざるを得ません。