アドレスホッパーで、現在、関西圏に住んでいます。
それまでは、長らく、東京を中心に関東圏に住んでいました。
関西圏に住んでみて、分かったことがあります。
東京の群衆と関西の群衆の挙動は、明確に、異なるということです。
喫煙行動から、関東と関西の群衆の差異を述べたいと思います。
まず、結論です。
関西圏の都市では、群衆の中でも、ためらわずに、タバコに火をつけて一服をする人が存在します。群衆の中で、白い煙がモクモクと立ちこめてもお構いなしのようにタバコを吸い始めます。
一方で、東京では、さすがに、群衆の中で、タバコを吸い始める人は、昨今、目にしません。
この場合の群衆とは、人々が鈴なりになっているような状態のことです。
周辺の人々と身体が触れるくらいに、一箇所に人々が密集した状態・・
満員電車の車内・・
そんな状況です。
関西圏では、そんな過密状態でも、タバコを吸い始める人が確実にいます。
当初、この様子を目にした瞬間は、例外的な事かもしれないとも考えましたが、
実際は、決して例外ではなく、日常的に、頻繁に遭遇する出来事でした。
目次
1. 東京の群衆を取り巻く喫煙環境
東京では、群衆の中でタバコに火をつける人は、極めて稀です。
では、東京の路上喫煙者はどこでタバコを吸うのか?
東京の路上喫煙者は、人目の無いところで、喫煙をします。
まるで、犯罪でもしたかのように、人の目を避けながら、タバコを吸うのです。
東京のオフィス街で、路地裏に一歩入れば、怯えながら、白い煙を立てる喫煙者の姿が、目にとまります。
東京の路上喫煙者は、群衆に対して、畏怖の念があるのかもしれません。
群衆は自分の一部であり、自分も群衆の一部なのです。
そして、群衆には心地良さもあります。
群衆の中で、タバコに火をつけることにより、自分の周りを円を描くように人々が離れていく様を想像すると、それは、群衆への心地良さが一転、不安に掻き立てられる状況に陥ります。
だから、隠れて、喫煙をするのです。
群衆には、自分の一部である群衆には、嫌われまいとする行為の帰結なのです。
2. 関西の群衆を取り巻く喫煙環境
大阪では梅田や淀屋橋、京都では四条あたりは、日中常に、人々が集い、群衆を形成しています。
まるで、満員電車にでも乗っているかのように、歩道が人で溢れている時があります。
そんな過密状況でも、さも日常的な当然の習慣のように、タバコを吸い始める人がいます。
注目すべきは、下記です。
- 東京の路上喫煙者は、路上喫煙行動に対して、罪悪感を抱いている
- 関西の路上喫煙者は路上喫煙行動に対して、罪悪感を抱いていない
3. 東京と関西で、喫煙と群衆の環境が異なる理由
次のような理由からです。
- 首都と地方都市の文化的成熟速度の差
- 関西の文化や慣習に根ざすもの
首都と地方都市の文化的成熟速度の差
現代日本においては、政治・経済・文化・人口・・社会における資本・資源・活動が、東京に一極集中しています。
平均喫煙率は、1966年の83.7%をピークとして、2018年では、27.8%まで落ち込みました。
近年では、嫌煙家も少なくありません。
喫煙者排除が、時代の潮流であると言ってもいいでしょう。
東京では、喫煙者排除の空気が蔓延していて、喫煙者が怯えるに至っているとも考えられます。
そして、東京に比べると関西圏の都市は、地方都市ということになります。
東京で起きているこの喫煙者排除の空気が、時代の流れとともに、徐々に、関西の地方都市にも、波及していくとも、考えられます。
もしかすると、数年後には、関西圏の路上喫煙者も、東京のそれと同じように、怯え始めるかもしれません。
関西の文化や慣習に根ざすもの
私は、関東圏出身で、今回、ノマドワークをきっかけに、初めて、関西圏に住みました。
詳しく、関西の文化については、分かりませんが、
もしかしたら、路上喫煙に関して、寛容な地域性があるのかもしれないと感じました。
おわりに
・関西圏の都市では、群衆の中でも、タバコを吸い始める人がいる。
・東京では、群衆の中で、タバコを吸い始める人はいない。
・首都と地方都市の文化的成熟速度の差
・関西の文化や慣習に根ざすもの
当たり前ですが、群衆とは、東京の専売特許ではありません。
群衆の挙動を、ひとつ切り取っても、地域性が垣間見えます。