コロナ禍で、オフィス街の人口密度は、下がっています。
土日や早朝、深夜ともなれば、尚更、人影は減少します。
先日、トナラー被害に遭いました。
その際、そのトナラーに話しかけてみました。
トナラーの挙動から、トナラーと都市における人格形成の本質が垣間見えました。
実体験を踏まえて、書いていきたいと思います。
1. トナラーと遭遇
日曜日の早朝
場所は、オフィス街
あたりの人の姿は、疎らです。
喫茶店に入ると、店内はガラガラ
パンとコーヒーを注文し、席に着きました。
この喫茶店は、店内が広めで、座席数も多かったので、席選びに苦労はありませんでした。
私は、二人掛けの小さめのテーブル席を選びました。
繰り返しますが、店内は広々とし、ガラガラの状態です。
トナラーの登場
私は、コーヒーを片手に、フリードリヒ・ニーチェの「ツァラトゥストラ」を読みながら、群衆の挙動についての思索に耽っていました。
すると、一人のサラリーマン然とした男性が入店してきました。
日曜日のスーツ姿に、少し違和感がありました。
もう一度言いますが、店内の客は、私とこのサラリーマンしかいません。
そして、店内は広々として、席数も多い喫茶店です。
サラリーマンが、コーヒーを乗せたお盆を両手で持ち、コツコツと足音を鳴らす音が、段々と大きくなってきました。
これだけ、ガラガラの店内です。
私は、あまり気に掛けずにいましたが、足音が止まり、びっくりしました。
このサラリーマン、なぜか、私のテーブル席に座り、私と向かい合わせの状態になりました。
このサラリーマンは、トナラーでした。
非常に、活きがいいトナラーです。
ガラガラで空席がたくさんある店内。
それで、なぜか私のテーブルに着きました。
このサラリーマン、何事もないように、私と向かい合いになった状態で、コーヒーを飲み始めました。
もちろん、知らない人です。
2. トナラーに話しかけてみた
「すみません。これだけ店内が、ガラガラなんで、他の席に座られたらどうですか?お見合いみたいになってしまっていますよ」
サラリーマンは、キョトンとしました。
それから、このサラリーマンは、「ああ・・」と声を漏らしました。
恐らく、自分が至近にいる事を不快に感じているのだろう、と気づいてくれたのだと思います。
それから、このサラリーマン、私の隣に移りました。
これだけ席が空いているのに、なぜ、隣?と呆れました。
多分、根っからのトナラーなのでしょう。
3. トナラーの不思議な挙動
私がトナラーに「他の席に座られたらいかがですか?」と尋ねた時の、トナラーの挙動には、我々へ気づきをもたらしてくれます。
このトナラー、知らない人である私と密着する事に、違和感を抱いていないようでした。
普通に考えると、全く知らない人と過密状態になる事には、違和感を抱くものです。
なぜ、トナラーは、見知らぬ人と密着しても、平然としていられるのでしょうか?
トナラーは、日々、見知らぬ人達と、密着する訓練を続けているからです。
日常生活において見知らぬ人と密着する機会は、満員電車です。
満員電車は、見知らぬ人と密着する事が許される限られた空間です。
毎日毎日、満員電車に乗り続け、人との距離感が狂った人の末路、それがトナラーなのです。
満員電車では、人と密着しても怒られません。
だから、満員電車以外の空間でも、人と密着しようとしても、トナラーに罪悪感はありません。
別の言い方をすれば、満員電車に乗り続ける事は、トナラーになる可能性があるとも言えます。
満員電車に関わらない生活を送る事は、トナラーとは別世界に生きるという事なのです。
4. まとめ
・トナラーは、自分が見知らぬ人と密着して、相手が不愉快を感じている事に気づいていない
・満員電車は、見知らぬ人と密着しても許されている限られた空間。満員電車に乗り続けると、トナラーになる可能性がある
・満員電車に乗らない人は、トナラーとは別世界で生きている
満員電車の拡張として公共空間に現れる存在が、トナラーなのです。