フリーランス

1日16時間働くニートと出会った話【ソシュールから考える】

neet is workaholic

フリーランスになると

会社員時代では、大凡、巡り会えないであろう人と出会う機会があります。

 

先日、私と同じフリーランスの方とお話をする機会がありました。

 

興味深い事に、この方、自称で、ニートと名乗っていました。

(頂いた名刺にも、ニートと書いてありました。)

 

自称ニートのフリーランスとは

ニートゆえに、

本人曰く、「働いたら負け」的なことを端々で仰っていました。

 

もちろん、本人は、働いていないと胸を張ります。

働くなんて、つまらない人生だ、とさえ仰います。

 

それも、そのはず。

ニートは、仕事をせず、

一日中、部屋にこもって、ダラダラと過ごしているイメージがあります。

 

では、そんなニート的な怠惰な生活を送っているのか?

問うてみると、必ずしもそうではないようです。

 

この方、

ブログや動画配信、その他、インターネット系ビジネスっぽい事を、

複数、掛け持ちしているとのこと。

 

6時に起床して、床に就くのは、深夜1時ごろ。

その間の日中、大体、16時間くらいは、

前述の事をしている、と伺いました。

 

仕事をしているが仕事でない?

「でも、これって・・仕事ですよね」

 

一日、16時間労働は、凡庸なブラック企業でも、実現は困難でしょう。

完全なる、ブラックな働き方です。

 

しかし、

自称ニートのこの方、

この一日、16時間、行なっているこれらの仕事を、

頑なに、仕事と認めませんでした。

 

ライティングや動画編集、その他、PC作業に終始・・

端から見れば、どう考えても、仕事としか捉えようがありません。

 

でも、当人は、仕事ではないと言い張ります。

 

その論拠は、

「俺は、楽しんでやっている」

とのことでした。

 

楽しんでやっているから、仕事ではないと・・

どうにも、首を傾げざるを得ません。

 

単に、仕事を楽しんでいやっているだけなのではないでしょうか。

それならば、仕事を楽しんで取り組んでいる人は、

全員、ニートという事になってしまいます・・

 

フェルディナン・ド・ソシュール(言語学)で考えてみる

言語学で有名なフェルディナン・ド・ソシュールによると、

言葉は、「シニフィアン(記号表現)」と「シニフィエ(記号内容)」、

これら2つの側面から成り立つものであるとされています。

 

例えば、猫で考えてみるならば、

・シニフィアンは、「猫」という文字や、「ねこ」という音声

・シニフィエは、「猫」のイメージや意味内容を指す

ということです。

 

つまり、

当人が、いくら「我輩は『ニート』である」と言っても、

所詮、形式的で表層的なものでしかなく、

実質は、「ニート」とは異なる実体に他ならないということです。

 

むしろ、この方の場合は、

自分が否定していた「ニートと正反対な存在」に、

自分の存在が当てはまっていた、というアイロニーもあるわけなのです。

 

おわりに

私はニートです。

一日16時間、仕事と認めない仕事をしています。

 

それって、実態は、ニートでも何でもなく、

ただ、一日中仕事をしている人に他なりません。

社畜のイメージに近いでしょう。

 

この方、

一日中仕事をしている社畜を、批判していたのですが、

実態は、自分がそのような存在だった、ということなのです。

 

そんな風に、ロジックで考えていくと、

この方には、そんな肩書きとかロジックとかなんて、どうでもいいじゃないか、

と言われそうな気はします。

 

ただ、私は、

この方、実態は社畜でありながら、

自分のことをニートと言い張って譲らなかった理由は、

この方自身の心の中に、或る種の願いを秘めているのではないかと考えています。

 

現在の自分は、まだそれに達していないけれど・・

いつか、きっと、成りたい存在。

 

それが、

自身は社畜ではなく、ニートだ、という言葉の片鱗から垣間見えたのです。

 

もっとも、名刺に「ニート」と書くくらいですから、

YouTubeなどを使って「タレント」のような活動をしているのかもしれませんね。

 

シニフィアンとシニフィエの齟齬に、惑わされても、

そこに介在する、その人の自意識を誤魔化すことは難しいのかもしれませんね。

ABOUT ME
普通のフリーランスエンジニア マノリさん
1981年生。早稲田大学卒。秋葉原(外神田)在住。フルリモートで作業中。昼は人で溢れかえり、夜は誰もいなくなる電気街で、仕事を頑張る。趣味は、小説と散歩