「社畜」と言うと、どんなイメージを持ちますでしょうか?
現代において、進んで、社畜になりたいと考える人は、少ないでしょう。
むしろ、社畜を馬鹿にする対象と捉えている人は、多いはずです。
社畜のような人生は送りたくないと・・
そんな社畜に否定的なビジネスマンも、無意識のうちに、自身が「現代の社畜」になっているかもしれません。
本記事では、現代に現れた、新しい社畜の姿について、書きたいと思います。
1. 昭和や平成の社畜とは
社畜という言葉は、次の意味で知られています。
社畜(しゃちく)とは、主に日本で、社員として勤めている会社に飼い慣らされ、自分の意思と良心を放棄し、サービス残業や転勤も厭わない奴隷(家畜)と化した賃金労働者の状態を揶揄したものである。「会社+家畜」から来た造語かつ俗語で、「会社人間」や「企業戦士」などよりも、外部から馬鹿にされる意味合いを持つ。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
社畜という言葉は、一般的に、冷笑の対象として用いられます。
- 人生において、仕事以外を放棄した、かわいそうな人
- 考える事を諦めた、かわいそうな人
- 資本家に、進んで搾取される人
このようなイメージでしょうか。
「24時間、働けますか?」というキャッチフレーズが登場したのは、平成元年(1989年)でした。
仕事を通じてしかアイデンティティを獲得できない価値観の最たるものが、かつての会社員の表象です。
当時は、この社畜的な働き方をしている人は、少なくありませんでした。
しかし、会社が労働者を守らなくなった現代、労働者の自立性が求められている時代において、社畜的な働き方自体が、なかなか難しくなりつつあります。
昨今、政府が推し進めている働き方改革では、多様な働き方を可能にする社会を目指しています。
[社畜の側面]
・(守ってくれない会社)に忠誠を尽くしている
・一つの会社に拘束され続ける
このような社畜的な働き方自体、時代遅れな働き方である、という流れが、時代の趨勢なのでしょう。
そもそもが、社畜という言葉に、冷笑や馬鹿といったネガティブな意味が含まれているので、現代において、能動的に、社畜になりたいと考える人は、いないでしょう。
誰もなりたくない社畜・・
さて、社畜は、減少しているのでしょうか。
答えは、否です。
現代は、巧妙に形を変えて、社畜なる者が存在しているのです。
それは、新しい社畜の形です。
2. 令和時代の社畜の姿とは
現代の社畜には、下記の特徴があります。
・TwitterやインスタグラムなどSNSを積極的に使う
・合理的な考え方
・仕事にネガティブな感情がない
・プライベートにネガティブな感情がない
・社畜に否定的である
一見すると、社畜的な要素が皆無に見えます。
仕事やプライベートにネガティブな想いを抱いていないのは、一般的に、良い事と捉えられるでしょうし、合理的な考え方を持ち、SNSを積極的に活用するというと、なにやら、仕事が出来る知的な人に見えなくもありません。
しかし、これらの特徴を兼ね備える事が、確実に、社畜として機能します。
結論を申し上げると、現代の社畜とは、「仕事とプライベート」「時間や空間」といった、境界が曖昧になって、境界が喪失した環境下で、ポジィティブな考え方にもとづいて、「仕事」にコミットし続ける人の事を指します。
高度なIT環境がそれを可能としています。
かつての社畜像では、仕事とプライベート・・、換言すると、出勤時間と退勤時間が、そして、自宅と会社が、明確に分かれていました。
いくら会社に奉仕をしようと思っていても、自宅に帰ってきてしまうと、一般的に考えて、会社と同じように仕事をやることは難しいです。
つまり、本人が意識する意識しないに関わらず、物事に区切りがついてしまっている、という事です。
翻って、現代の社畜像を見ていきましょう。
・TwitterやインスタグラムなどSNSを積極的に使う
・合理的な考え方
・仕事にネガティブな感情がない
・プライベートにネガティブな感情がない
・社畜に否定的である
解説します。
Twitterやインスタグラム、ビジネスでは、SlackやChatworkでしょう。それらのSNSを積極的に使うという意味は、24時間、タスクに対して、コミット可能であること表します。
つまりは、オンとオフと差異の消失を意味します。
合理的な考え方を備えているならば、尚の事でしょう。
この行なっている事が、もはや仕事なのかプライベートなのか分からないという点も重要です。
その仕事/プライベートの曖昧になった「仕事」を、行い続けるのです。
なぜなら、仕事やプライベートにネガティブな感情を抱いていないからです。
付言しておくと、
仕事やプライベートに対して、ネガティブな感情を持っている人、
例えば、
「仕事やりたくない」
「仕事つまらない」
「プライベートで楽しいことがない」
などと考えている人は、現代の社畜にはなり得ません。
理由は、簡単です。
前述の通り、現代の社畜は、区切りを失う事によって、現れます。
仕事やプライベートに対して、ネガティブな感情を持っている人は、区切りが出来るから、現代の社畜化を逃れます。
ここまでが仕事、ここからがプライベートとしっかりと認識できている人ならば、現代の社畜には、どうやっても、成れないのです。
現代の社畜とは何者か?
要するに、現代の社畜とは、非常に、ポジティブに、24時間、「仕事」に向き合い続ける人達なのです。
(ここでいう24時間とは、SNSに拘束されうる「無限の時間」を指しています)
「仕事」や「プライベート」に対して、決して、ネガティブな感情は、見せません。
3. 現代の社畜の結末(体験談)
筆者は、フリーランスエンジニアです。
以前、渋谷にある、或るIT系スタートアップ企業に客先常駐で、稼働していた時がありました。
その時に、知り合ったのが、20代後半の若いエンジニアです。
今思うと、彼は、まさに、現代の社畜像のイメージに、ぴったり当てはまっていました。
Twitter や インスタグラム、仕事では、Slack を使い、非常に、合理的な考え方で、さっぱりとした性格の持ち主でした。
仕事が大好きで、一方で、プライベートも大事にするような人で、残業もあまりしません。
ここまで書くと、現代において、非の打ち所のない若手ビジネスマンという感じでしょう。
この現場は、常駐案件でしたが、合理的な御方であるがゆえに、リモートワークという働き方にも、理解を示していました。
本業以外にも、副業をやっているとお聞きしました。
兎に角、非常に、ポジティブな印象がありました。
現代の社畜的な特徴を持っていた、この20代後半のエンジニアの方、或る日、突然、何の前触れもなく、精神的な病で、ダウンされ、そのまま会社を去りました。
それを聞いた時、彼のポジティブなイメージとの落差に、戸惑いました。
それから、共通の知人に、話を聞くと、どうやら、この20代後半のエンジニアの方、
一日中、SNSに張り付き、一日中、「仕事」をやり続けていたそうです。しかも、ポジティブに・・
いくら、仕事やプライベートにネガティブな感情が無いと言っても、しょせんは、表面的な事にすぎません。
身体や精神は、正直です。
ダウンに至ったのでしょう。
それは、24時間、SNSを見ながら、「仕事」をし続けるわけですから、病気にならないわけがありません。いくら、本人が、それをポジティブに捉えていても、です。
4. まとめ
・TwitterやインスタグラムなどSNSを積極的に使う
・合理的な考え方
・仕事にネガティブな感情がない
・プライベートにネガティブな感情がない
・社畜に否定的である
SNSをベースに、仕事とプライベートの境界が曖昧になっていき、ポジティブに、社畜化が達成されます。
もちろん、社畜という状態は、当人にとっては、無自覚なのです。
いくら、自身が、自分は社畜では無いと声高に主張しても、他者から見れば、まぎれもない、単なる社畜に過ぎないのです。
現代の社畜が、非常にポジティブに「仕事」に取り掛かっているという点は、興味深いでしょう。
ポジティブゆえに、悲壮感は、あまり感じられません。
むしろ、周りから「楽しんで仕事をしている人」と、受け取られる事を、当人は、密かに、望んでいるのかもしれません。
しかし、ポジティブな感情によって旧来の社畜像を否定しようと試みても、実際、やっている内容は、旧来の社畜と大差ないのです。
昭和や平成時代の社畜をバカにするが、自分も、他ならぬ、新時代の社畜になっているのです。
一種のアイロニーでしょう。
当人は気づいていませんが、周りから見えれば、単なる、「仕事」中毒者で、資本家に巧妙に搾取される「現代の社畜」と化している・・そんな人は、少なくないでしょう。